三国志に登場する魏の五大将軍について解説します!

魏の武将の中でも、曹操の親族以外で特に功績を挙げた武将を5人選りすぐったのが、この五大将軍です。

五将軍とも言われるこの武将たちですが、一体誰が選ばれているのでしょうか?

そこで今回は三国志に登場する魏の五大将軍について、どの武将がどういう功績を挙げ選ばれたのかについてご紹介していきたいと思います。

三国志の五大将軍は魏のどの武将なのか解説!

有能な武将であれば降伏した直後であっても重要なポジションを与え活躍する場を作った曹操。

その推察眼と起用法が、魏に有能な武将が集まった要因と言えるでしょう。

魏の五大将軍は曹操の親族以外から選ばれており、最初から曹操配下の武将もいれば、途中から加入した武将もいます。

どんな武将が選ばれているのか、1人ずつ解説していきましょう。

五大将軍の筆頭!合肥の戦いで活躍した張遼

五大将軍の筆頭として挙げられるのは、合肥の戦いで大活躍した張遼です。

呂布配下だった張遼は降伏後、袁家征伐戦で活躍し、その名を挙げました。

合肥の戦いでは寡兵にも関わらず、奇襲を仕掛け孫権をあと一歩のところまで追い詰める働きを見せ、「泣く子も黙る」という言葉の語源になったと言われています。

張遼についての詳しい解説はこちら!

挙げた戦功の数は1位!小柄な勇将:楽進

曹操軍の生え抜きの武将の中でも、挙げた戦功の数で比較すればこの楽進が一番多いでしょう。

五大将軍の中でも与えられた将軍位は張遼よりも高く、評価されていたことが伺えます。

合肥の戦いでは張遼と協力して孫権軍を撃退したことも、楽進の功績を輝かせるものとなっています。

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法に厳格な于禁は晩年に汚名が残った

法を犯したものはたとえ味方であったとしても厳格に処罰した于禁。

公私混同せず軍を率いたことは曹操からも高く評価されていました。

しかし、晩年のある行動でその信用が地に落ちてしまうのです・・・。

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冷静沈着な大斧使い:徐晃

大斧使いの徐晃は常に冷静沈着で、情報収集を怠らなかったことで有名です。

樊城の戦いでの活躍は、軍神と崇めらえた武将:関羽の命運を決めたこととして知られていますね。

史実と三国志演義で亡くなった経緯が異なるのも特徴的な武将となります。

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対蜀との戦いで恐れられた歴戦の武将:張郃

袁紹軍配下だった張郃は、曹操に下った後、主に蜀軍との戦いで功績を挙げました。

劉備だけでなく、諸葛亮からも恐れられた歴戦の武将と言えますね。

生涯で主君を数回変えていますが、どの君主の下でも重用された実力は折り紙付きです。

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 魏の五大将軍の強さや功績を蜀の五虎将軍と比較

ここまで魏の五大将軍として誰が選ばれていたのかについて解説してきました。

ここで気になるのは、蜀にも魏と同じような五虎将軍と名付けられた武将がいることです。

五大将軍と五虎将軍のどちらが強いのか、その挙げた功績について比べてみてみたいと思います。

蜀の五虎将軍も猛将ばかり

蜀が作った五虎将軍は、魏の五大将軍を意識して作られたものと言われています。

君主:劉備の義弟である関羽を筆頭に、張飛・趙雲・黄忠・馬超の計5人が選ばれていますね。

どの武将も後世に名を残すほどの猛将で、諸葛亮がそれぞれ独自に軍事権を持つよう劉備に進言した理由も頷けます。

では、魏の五大将軍とその挙げた功績はどう異なるのでしょうか?

魏の五大将軍より功績は挙げていない

実は、魏の五大将軍との決定的な違いは、功績を挙げているかどうか、という点にあります。

張遼や楽進など、魏の武将はまさに魏のために戦功を挙げたことを評価されて任命されました。

一方、蜀の五虎将軍は関羽・張飛・趙雲といった劉備のために尽くした武将だけでなく、当時劉備配下になって間もない馬超や、その後の活躍が見込みにくい老将の黄忠が選ばれています。

このことが、主君のために挙げた功績ではなく、実力で選んだ五虎将軍との大きな違いと言えるでしょう。

まとめ:五大将軍は魏の盛隆に大きく貢献した武将ばかり

今回は三国志に登場する魏の五大将軍について解説してきました。

選ばれた5人の武将は、どれも魏が大国となった過程において大功を挙げた武将ばかりでしたね。

それぞれが競い合って武功を挙げたことも記録されており、その有能さも裏付けられているものとなっています。