三国志に登場する文官:荀攸について解説していきます!

曹操配下の軍師で郭嘉に並ぶ知謀を持ち、曹操の河北平定に大きく貢献したのが、この荀攸です。

親戚の荀彧と同様に曹操に貢献した文官として、魏の将を語るうえで外せない人物ですね。

そこで今回は荀攸の生涯について、その逸話や功績も交えながらご紹介していきたいと思います。

荀攸の生涯を最後の死因まで解説!

荀攸と言えば、曹操を支えた文官:荀彧の親族である点でも有名な人物です。

荀彧より年上なのですが、家系図から見ると荀彧の甥にあたるというのも面白いですね。

親族2人で曹操に貢献したのですが、晩年はどうだったのかについてはあまり知られてないのも事実です。

どんな生涯を送ったのか、早速見ていくことにしましょう。

生まれ~董卓暗殺計画

157年に生まれた荀攸は、記録によると豫州潁川郡潁陰県が出身とのことです。

幼い頃から秘密を漏らさず、また優れた観察眼を持っている人物として、親族からも高く評価されていました。

父親は荀攸がまだ幼い頃に亡くなり、叔父である荀衢の下で過ごすことが多かったようです。

その後、孝廉(いわゆる官僚)として推挙され、叔父である荀彧や同郷の郭図・鍾繇らとともに中央で働くことになりました。

 

そこでも才能を発揮し、当時の大将軍である何進が招へいした名士20人の中に荀攸が含まれるほど、高く評価されていたのです。

しかし、何進が亡くなり、董卓が都を牛耳るようになると、政治は乱れ、民衆だけでなく宮中からも不満が募り始めました。

荀攸は仲間を集め董卓を亡き者にしようと画策しましたが、事前にバレてしまい投獄、さらには死刑を言い渡されてしまいます。

暗殺に誘った同志の中には自ら命を絶つ者もいましたが、荀攸はじっと耐え、死刑執行の前に董卓が暗殺されたことで、難を逃れたのでした。

曹操配下に~下邳の戦い

董卓が暗殺された後、荀攸は再び推挙され、蜀郡の太守に任命されました。

しかし、益州牧だった劉焉が独立を画策したことで蜀までの交通路が立たれており、やむなく荊州にとどまることとなったのです。

その後、荀彧の推挙で曹操の配下となった荀攸は大変気に入られ、すぐさま曹操の軍師に任命されました。

その才能は曹操にも愛され、張繍との戦いで荀攸の忠告を守らず負けてしまった曹操が荀攸の才知を改めて認めたほどです。

 

呂布が徐州で反乱を起こした際、袁術の後ろ盾を気にする幕僚をよそに、荀攸はまだ連携がとれていない今こそ攻めるべきと進言しました。

荀攸の言葉通り進軍した曹操は、呂布を下邳城に追い込むことができたのです。

籠城策を採用し、曹操軍を疲弊させようとする呂布軍に曹操も音を上げようとしましたが、荀攸は郭嘉とともに水攻めを献策。

策は成功し、呂布を捕えることに成功し、曹操の勢いがますます強くなったのでした。

袁紹との戦い~最後

袁紹との戦いが始まると、荀攸は袁紹軍配下の猛将:顔良と文醜を策を用いて撃破。

さらには敵輸送隊への襲撃を指示し、見事に成功させたのです。

許攸の降伏も偽りでないことを見抜き、烏巣の兵糧庫への襲撃を成し遂げたのも荀攸の働きが大きいものでした。

さらには、後に魏の五大将軍となる張郃の降伏も受け入れるよう進言し、官渡の戦いを大勝利に導いたのです。

 

袁家一族内での争いが起こると、荀攸は混乱に乗じて領地を平定するよう曹操に進言し、河北の平定に一役買いました。

戦後、曹操は荀彧に次ぐ功績を挙げたとして荀攸を評価し、中軍師に転任させたのです。

赤壁の戦い後、曹操を魏公にする動きに賛成した荀攸は魏の建国後に尚書令となり、数多くの人材を推挙しました。

しかし、214年に孫権討伐のため従軍中、病に倒れ58歳という年齢でこの世を去ったのです。

荀攸が天才と言われた逸話や功績

ここまで荀攸の生涯についてご紹介してきました。

最後まで魏のために尽くし、曹操からも愛された軍師でしたが、その理由はやはり天才的な知能にあると言えます。

ここからはそんな荀攸の逸話や功績について見ていくことにしましょう。

天才:荀攸は最強の秘密主義だった

荀攸が優れている点は、自身が思い描いた策を必要時以外には絶対に口外しない秘密主義を貫いたところにあります。

幼い頃から性格的にその気配が出ており、叔父が誤って荀攸を傷つけたこともひた隠しにし、後日それを叔父が知ったことで口の堅い人物だと高く評価されたことがありました。

曹操に仕えてからも常に策を考えていたようですが、どんなことを考えているかはたとえ弟子であっても答えることがなかったそうです。

袁紹との戦いでも12個の奇策を考えていたことは親友の鍾繇だけにしか打ち明けず、鍾繇もその内容を編集する前に亡くなったことで、ついに荀攸の軍略は後世に残ることが無かったのでした。

他者からも天才との評価が高かった

まさに天才と言える荀攸の評価は非常に高く、曹操は息子の曹丕に荀攸を手本として成長するよう語ったり、荀攸が亡くなった際に最後まで失策が無かったと話したりしたそうです。

「三国志」の編纂者である陳寿も、同じく魏の軍師だった賈詡と並んで、生涯で失策が無かったと記録しています。

親友の鍾繇も、自らが完璧に考えた事柄を荀攸に相談すると、それを上回る意見がいつも帰ってくると尊敬していたそうです。

一方、それだけの才知がありながらも見た目は純朴で、行動も決して奢らず、愚直に仕えた姿勢から、他人から恨まれることもなかったそうですよ。

まとめ:曹操に愛された天才秘密主義軍師

今回は三国志に登場する文官:荀攸についてご紹介してきました。

生涯において失策が無い一方、その考えは他人に漏らさない秘密主義を貫いた、君主がそばに置いておきたいタイプの軍師でしたね。

魏の功臣にも選ばれるほど活躍した荀攸は、曹操の覇業を語るうえで外せない人物でしょう。