三国志に登場する初代魏皇帝:曹丕の性格について解説していきます!

戦乱の最中、一代で中華の約半分を領地に治めた曹操。

その子として漢朝を終わらせ、魏の初代皇帝となったのが、曹丕です。

この曹丕は果たしてどのような性格だったのか、人物像に関する逸話・エピソードを交えながらご紹介していきたいと思います。

曹丕の性格はサイコパスなのか解説!

曹操は生前、自らが後漢最後の皇帝である献帝を排して皇帝の座に就くことはしないと明言し、その言葉通り魏王として亡くなりました。

しかし、曹丕はその直後に献帝に禅譲を迫り、自らが魏の初代皇帝として、長く続いた漢の歴史に終止符を打ったのです。

曹丕については様々な逸話が残されていますが、上記の歴史的な流れも踏まえると、実はサイコパスなのではないか、という見方もできる人物ではないかと考えられます。

一体どんな逸話があったのか、早速見ていくことにしましょう。

曹丕のサイコパスなエピソード

曹丕に関する逸話やエピソードは数多く残されていますが、その中でもサイコパスではないかと疑うようなものをご紹介します。

父親の愛人を全員自分のものにした

三国志の時代は戦乱の世とあって、君主については正妻だけでなく、何かあった時のために跡継ぎを多く残せるよう妾=愛人を多く囲うのが常識でした。

父である曹操が亡くなった時、曹丕はなんど曹操の妾を全員自分の愛人としてはべらせたのです。

実の母親である卞太后はそのことを知らずにいましたが、曹丕が亡くなる間際に見舞いに行った時にその事実を知り、驚きを通り越して失望したのでした。

「犬やネズミでもお前の食べかすは食らうまい。死ぬのは当然でしょう」と言う言葉が残されたことからもわかるように、異常な行動をしていたことから卞太后は曹丕が亡くなっても全く泣かなかったそうです。

弟の曹植を貶める

樊城の戦いで曹仁が関羽に包囲された時、曹操は曹丕の弟である曹植に一軍を与え、曹仁を救援させようと考えたことがありました。

曹操の呼び出しを受けて曹植が出発しようとするまさにその時、なんと曹丕が何を思ったのか酒を持ってきたのです。

曹丕は断ろうとする曹植に「出陣へのはなむけだ」と話し、強引に酒を飲ませてベロンベロンに酔わせました。

結局曹植は曹操の命令を受けることができず、事の子細を聞いた曹操は2人を叱責したのです。

自らの手で実弟を2人殺害する

曹丕は魏皇帝に就任すると、曹操の葬儀に参列しなかった実弟に対し、その理由を問いただす手紙を送りました。

手紙を受け取った曹植は側近の言葉もあって反抗的な態度をとり、後に曹丕に呼び出され有名な「七歩詩」を詠むことになるのですが、この裏で病弱だった曹熊が自決するという事態が起こっています。

葬儀の際も体調がすぐれず、致し方なく参列できなかった曹熊に対し、半ば叱責ともとれる内容の手紙を送りつけた曹丕の心中を察した曹熊が、罪に問われるならと考え、自ら命を絶つ方法を選んだのです。

このエピソードは三国志演義での内容となりますが、もう1人、急死とされている曹丕の弟:曹彰の件もあって、このような描かれ方をされたと考えられます。

 

その曹彰は卞太后の部屋で曹丕が持ってきた毒入りのナツメを食べ、曹丕の目の前で苦しみだしたという記録が残っていました。

しかも、曹丕は事前に水を汲めないよう井戸の釣瓶を壊しておき、曹彰を助けようとする卞太后の行動を邪魔したのです。

かねてから武勇で鳴らしていた曹彰を憎んでいた曹丕は、続けて曹植も手にかけようとしたというのですから驚きですね。

さすがに、卞太后が曹丕を叱責したことで、曹植への直接的な危害は加わらなかったそうですが、もし止められない状況だったら、と考えるとゾッとします・・・。

曹丕は恨み深い性格だったのではと思える逸話

ここまで曹丕のサイコパス的なエピソードについてご紹介してきました。

正直なところ、やっていることは理解しがたく、サイコパスだと思わざるを得ないようなものばかりだったのではないでしょうか。

しかし、曹丕のこのような行動の裏には、他人への嫉妬や、受けた仕打ちを根に持つような性格があるのではないかと考えます。

その理由とも言える逸話をご紹介いたしましょう。

出世後に反対を押し切って復讐

曹丕は自らが皇帝になった後、それまでに曹丕に意見したり、自身に都合の良いことをしてくれなかった人物に復讐していったことでも有名です。

その1つとして、鮑勛という人物が郭夫人の弟の罪を裁いた話があります。

当時太子だった曹丕が鮑勛に減刑を求めましたが、鮑勛は法に乗っ取りこれを拒否しました。

このことを根に持っていた曹丕は皇帝になった後、他の複数の家臣が止めたにもかかわらず、それを無視して鮑勛を最終的に処刑したのです。

血縁や功臣であっても恨みがあれば罰した

上記のような恨み深さは血縁関係のある人物でも変わらないことも記録として残されています。

その最たるものは功臣とも言われた曹洪で、その理由がお金を貸してくれなかったことというものですから何とも言えませんね・・・。

もっともらしい罪を被せて処刑しようとした曹丕でしたが、卞太后の取り成しで何とか曹洪は処刑を免れました。

ただ、曹丕の行動に対する評価は、曹洪の活躍を知る人にとっては良くないものとして印象付けられる結果となったのです。

まとめ:曹丕は劣等感が強く恨み深い人物だった

以上のことから、曹丕は劣等感が強く、恨み深い人物だったことが言えます。

曹彰や曹植は曹丕より武芸や詩の才能があったことが、曹丕にとっては目の上のたんこぶだったようです。

私怨で家臣を次々と罰していったのはとても評価できないものですが、一方で忠義を貫いた人物には評価を与えたことでも知られています。

とんでもないエピソードはこの他にもたくさんありますが、そもそも曹丕がどんな生涯を送ったのかについてはこちらの記事でご紹介していますので、ぜひご確認ください!

曹丕の生涯についての記事はこちら!