夏侯尚の生涯を最後の死因まで解説!曹丕や陳式とのエピソードも

三国志

三国志に登場する武将:夏侯尚について解説していきます!

魏皇帝:曹丕の親友として、数々の戦果を挙げた武将が、この夏侯尚です。

三国志演義での描かれ方が異なることや、晩年の夏侯尚に関するエピソードは、三国志ファンであれば知っておきたい内容であります。

そこで今回は、夏侯尚の生涯について曹丕とのエピソードも交えながらご紹介していきたいと思います。

夏侯尚の生涯を最後の死因まで解説!

曹操の親族である夏侯一族の中の1人として活躍したのが、今回ご紹介する夏侯尚です。

三国志演義では定軍山の戦いでの登場が印象的ですが、その前後でどのような活躍をしていたのかについてはあまり知られていない武将ではないでしょうか。

夏侯尚は武将として優れた能力を持っていましたが、晩年はとあることで影を落としてしまう人物でもあります。

果たしてどのような生涯を送ったのか、早速見ていくことにしましょう。

曹丕の友人~曹操没まで

夏侯尚の生年は不明ですが、曹操が冀州を平定したころには戦場に出ていたという記録から、その時にはすでに成人していたものと考えられます。

若い頃の夏侯尚は同年代の曹丕と仲が良く、君主の息子と一族ではありながらも部下という立場を超えるほどの付き合いをしていたそうです。

魏が建国された後、烏桓族が反乱を起こすと、夏侯尚は曹彰とともに鎮圧に向かいました。

そして、曹操が亡くなった時にはこれまでの功績をたたえられ、平陵亭侯・中領軍に任命されたのです。

荊州防衛~対呉戦線

曹丕が曹操の跡を継ぎ、魏皇帝となった際に、夏侯尚は荊州刺史に任命されました。

荊州のうち、蜀に近い上庸は孟達が守備をしていましたが、関羽が討たれた責任を問われたことで劉封と対立関係にあったのです。

孟達が自らの保身のために魏に下ると、夏侯尚は上庸へ奇襲を仕掛け、劉封や上庸太守:申耽を撃破しました。

この戦果が認められ、夏侯尚は征南大将軍へと任命されたのです。

 

222年、曹丕が呉への大規模な侵攻戦を開始すると、かねてから孫権への警戒を解いていなかった夏侯尚は即座に馳せ参じ、防備を行う諸葛瑾と対峙しました。

戦の苦手な諸葛瑾に対し、夏侯尚は奇襲を仕掛け大規模な戦果を挙げたのです。

しかし、朱然の軍隊が粘りを見せ、ついに攻略することができず撤退を余儀なくされました。

戦後、夏侯尚は荒れ果てた荊州を立て直すために上庸から西を開墾し、異民族の受け入れを行うと同時に、下ったばかりの孟達と親交を図り再び背くことの無いようつなぎとめる働きを見せたのです。

妾に溺れた晩年~最後

数々の戦功を挙げ、名実ともに認められてきた夏侯尚でしたが、自らの女性問題をきっかけに雲行きが怪しくなってきます。

夏侯尚には曹家から嫁いできた正妻がいましたが、224年頃には妾を愛するようになり、正妻への態度が日に日に悪くなってきていたのです。

一族から嫁を貰った身でありながらも他の女に手を出していることに腹を立てた曹丕は、部下に命じその妾をなんと殺害させたのでした。

このことが夏侯尚にとって大変ショックな出来事で、次第に夏侯尚の様子がおかしくなってきたのです。

 

妾を失った夏侯尚は精神を病んでしまい、妾の墓を掘り起こし遺体を愛するという狂った行動を見せるようになりました。

これには曹丕もさすがにやりすぎたと感じましたが、日に日に夏侯尚の様子は悪くなる一方・・・。

225年には静養のため洛陽に戻りましたが、病が好転することはありませんでした。

そして226年、曹丕が自ら何度も見舞いに行った甲斐も空しく、夏侯尚はこの世を去ってしまったのです。

夏侯尚と曹丕や陳式とのエピソード

ここまで夏侯尚の生涯についてご紹介してきました。

輝かしい功績を挙げるも、晩年の女性問題が原因で精神を病んでしまうという、何とも悲しい結末を迎えた人物でしたね。

ここからは夏侯尚が特に親しかった曹丕とのエピソードや、三国志演義での描かれ方についてお伝えしていきたいと思います。

親友だった曹丕とのエピソード

若い頃から曹丕と親交が深かった夏侯尚は、曹丕が皇帝になった後も厚遇されていることは上記の通り明らかとなっています。

もちろん相応の戦果も挙げていましたが、曹家の女性を妻に迎えることができたのはやはり曹丕に気に入られていたからでしょう。

しかし、その好意が仇となって、妾にうつつを抜かしていた夏侯尚の姿を見た曹丕が怒り、自らの生涯を縮める結果となってしまったのは残念としか言えません。

かつて、魏の文官である杜襲が「夏侯尚は人を益しない友人である」と予言したことを何度も思い出していたことを、曹丕は夏侯尚に対する自らの行動を戒めるたびに思い出したそうですよ。

三国志演義と陳式との関係

一方、三国志演義での夏侯尚は定軍山の戦いでの登場がメインとなっています。

夏侯淵の配下として戦った夏侯尚でしたが、黄忠に捕らえられてしまい、先に魏軍が捉えていた蜀の武将:陳式との人質交換の駒にされてしまいました。

互いに自らの陣地に逃げ込もうとした際、夏侯尚は黄忠が放った矢を背中に受け、そのまま重傷を負いフェードアウトしてしまいます。

その後の登場は孟達が劉封と争った際に、孟達を援護する立場として登場するという、史実通りの描かれ方をしていました。

まとめ:女性問題で命を縮めてしまった勇将

今回は三国志に登場する武将:夏侯尚についてお伝えしてきました。

曹丕に愛され、戦果も挙げまずまず出世できた人物でしたが、晩年は自らの女性問題で命を縮める結果となってしまいましたね。

どの時代も不実な行動をとればそれ相応の報いが返ってくる・・・そんな教訓を学ぶことができる武将と言えるでしょう。


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