三国志における有名武将「許褚」の出生から最後の死因までを解説します!

魏の君主:曹操を長年守ってきた親衛隊である許褚。

猛将としてのエピソードや普段の性格から、ファンに愛されている武将としても有名ですね。

今回はそんな許褚の出生から最後までを、様々なエピソードを交えてご紹介していきたいと思います。

許褚の生涯から最後の死因までを解説!

曹操の親衛隊として活躍し、曹操が亡くなるまでその側を守り続けたのが、今回ご紹介する武将:許褚です。

三国志演義や近年のアニメやゲームなどでは、記録として残っている部分からのんびりおだやかな、しかし力持ちでいざという時に頼れるキャラクターとして、かわいがられることが多いですね。

もちろん、実際の許褚はとんでもなく強いエピソードが残っており、そのギャップが愛される要因とも言えるでしょう。

まずは許褚の出生から最後までを時系列でご紹介していきたいと思います。

出生~曹操に仕官するまで

許褚は曹操の出身と同じ豫州沛国譙県で、農家の息子として生まれました。

成長した許褚は記録によると身長が8尺(約184cm)、ウエストが10囲(約120cm)という巨漢に育ち、見た目通りの怪力を誇っていたそうです。

この頃は黄巾党の残党が各地で暴れまわっていた時代であり、許褚も一族とともに砦に籠りながら襲い掛かる賊を倒していたことが記録に残っています。

 

上記のように、許褚の勇猛ぶりは地元では知らない人がいないほど知れ渡っていたそうです。

やがて、曹操が淮南・汝南の地を治めるようになると、賊と戦うおそれが無くなった許褚は軍勢を率いて曹操の下へ行き、家臣となりました。

曹操は典韋に並ぶ体格を持つ許褚を気に入り、かつて劉邦の片腕的存在であった猛将を引き合いに「我が樊噲である」と喜んだそうです。

親衛隊就任~馬超との一騎打ち

許褚は曹操の家臣になった直後から武功を挙げ、先陣を切っては敵将を討ち取って帰るという猛将ぶりを発揮していました。

その働きぶりを見た曹操は許褚を自らの親衛隊長に抜擢し、以降曹操の窮地を幾度となく救うことになったのです。

常に暗殺される危険と隣り合わせであった曹操の側を離れることなく、怪しい人物に目を光らせて未然に災いを防いでいました。

特に、許褚の非番の日を狙った暗殺計画を第六感で感じ取り、首謀格を討ち取ったことで曹操からもますます愛されるようになったそうです。

 

許褚の働きぶりは戦場でも変わらず、特に西涼の勇将:馬超との戦いでは窮地に追い込まれた曹操を逃がすために奮闘したエピソードが有名ですね。

自ら船を漕ぎつつ、矢の雨を馬の鞍で防ぎながら逃げ切るという、親衛隊として恥じぬ戦いぶりを見せたのです。

三国志演義ではこの戦いで馬超と一騎打ちを行ったシーンが描かれており、錦馬超と名高い馬超に引けを取らない戦いぶりを見せました。

まさに「虎痴」の名にふさわしい猛将ぶりを裏付けるエピソードとなりましたね。

晩年~死後

やがて、曹操が病に伏し亡くなると、許褚は号泣し血を吐いたという記録が残されていました。

曹操の跡を継いだ曹丕は魏皇帝を名乗ると、それまで許褚の功績をたたえ武衛将軍の称号を贈り、皇帝の身辺を警護する近衛隊長として重用されたのです。

その後、曹叡の代となったところで許褚は亡くなりました。

息子の許儀が許褚の跡を継ぎましたが、許褚は典韋とは異なって祭られなかったそうです

許褚の強さや牛にまつわるエピソード

ここまで許褚の生涯を出生から最後までご紹介してきました。

曹操の親衛隊として功績を挙げ、何度も窮地を救ったことは素晴らしい功績と言えるでしょう。

その強さはすでにご紹介したとおりですが、さらに許褚の強さを表すエピソードが存在します。

ここからは許褚の強さについてのエピソードをご紹介していきましょう!

牛を片手で引きずるほどの怪力

曹操の家臣になる前、砦に押し寄せる賊を撃退していた頃のエピソードです。

許褚は賊との戦いを収めるべく和睦を結ぼうとし、賊は食料を、許褚側は飼っていた牛を渡しました。

しかし、牛は飼い主である許褚たちのところに勝手に戻っていったのです。

許褚は牛の習性を利用し、わざと有利になる交換を持ち込み、まんまと賊がそれに嵌った格好となりました。

 

怒った賊が許褚に詰め寄ると、許褚は賊の目の前で牛のしっぽを片手でつかみ、賊の前に引きずり出したのです。

そのあまりの怪力ぶりに、賊はみな驚き牛を引き取らず逃げ去ってしまいました。

とんでもない怪力を持つ許褚の噂は瞬く間に広まり、やがて賊の活動も治まっていったようです。

これは許褚が力だけでなく、知謀もある一面を現した話となりました。

呂布との一騎打ち

許褚が曹操配下となってすぐ、天下の猛将:呂布と戦うことがありました。

先陣を切り数々の武功を挙げていた許褚は、勢いにのって呂布に一騎打ちを仕掛けたのです。

これを受けた呂布は許褚の力を認めつつも、徐々に許褚を追い詰めていきました。

典韋が許褚の助太刀に入ったことで何とか窮地を免れた許褚でしたが、このことでさらに許褚の強さが知られるようになったのです。

虎痴と評された性格

一方、許褚は普段はとても誠実な性格で、無口だったことが記録として残っています。

「虎痴」と評された性格から、状況を理解するのに時間がかかるほど頭が弱いと思われていたようですよ。

しかしながら、上記のようなエピソードのほか、曹操の家臣としての自身の立場をわきまえた言動を常にしていたことから、決して頭が悪いわけではなく、自らの性格を表に出さず、忠実に任務に取り組む人物だったのではないかと言えます。

そのことが、曹家三代において重用され続けた証と言えるでしょう。

まとめ:許褚の強さと性格は本物だった!

今回は三国志に登場する魏の猛将:許褚についてご紹介してきました。

生涯にわたり主君を警備し、幾度となく窮地を救った許褚の強さは本物ですね!

虎痴と称された性格も、普段は慎み深くおとなしい態度をとっていたことが原因と考えられます。

まさに君主にとって側に置いておきたい武将であったと言えるでしょう!