三国志に登場する武将:曹純について解説していきます!

大将軍にまで上り詰めた魏の武将:曹仁の実弟が、今回ご紹介する曹純です。

曹仁に比べるとややマイナーな印象がしますが、武将としての実力は素晴らしいものがありました。

そこで今回は曹純について、どんな生涯を送ったのかを兄との関係も交えてご紹介していきたいと思います。

曹純の生涯を最後の死因まで解説!

曹操の一族の中でも、精鋭騎兵隊である虎豹騎隊の指揮を担った1人が曹純です。

無敵の強さを誇る虎豹騎隊を率いた曹純が、数多くの戦功を挙げられなかったのには理由があります。

なぜなら、曹純が短命で、これからという時にこの世を去ってしまったからです。

太く短い生涯だったとも言える曹純がどんな人生を歩んだのか、早速見ていくことにしましょう。

生誕~曹操配下に

曹純の生年は不明ですが、他の曹一族と同じ豫州沛国譙県に生まれたことが記録として残っています。

兄である曹仁は早くに家を出ており、曹純が14歳の時に父が亡くなると、自らが家督を継いだそうです。

まだ中学生と言える年齢であるにもかかわらず、曹純は家の財産管理をキッチリと行い、召し抱えていた家臣をまとめていました。

そのことが地元でも評判になり、誰もが曹純の能力を認めていたのです。

 

18歳となった曹純は、皇帝の勅命を伝達する黄門侍郎に任命されました。

そのまま中央での出世をにらんでも良かったのですが、一族の曹操が旗揚げしたことを聞き、20歳の時に自ら進んで配下となったのです。

この時、すでに兄の曹仁も曹操配下となっており、互いに軍事を司る役職につきました。

また、曹操が自ら率いていた虎豹騎隊の指揮権が曹純に与えられ、この時より曹操軍の精強な騎兵隊としての活躍がますます知られるようになってきたのです。

袁家討伐戦で活躍

特に曹純が大きな戦果を挙げたのが、河北を支配していた袁紹との決戦です。

袁紹が亡くなり、後継者争いで徐々に弱体化していった袁家の長男:袁譚がこもる南皮の城を包囲した際、窮地に追い詰められた袁譚の反撃で曹操軍が痛手を負ったことがありました。

撤退をも考え始めていた曹操でしたが、すかさず曹純がこれを諫め、必要以上に調子に乗る袁譚軍の足元を掬うよう進言したのです。

この言葉で目が覚めた曹操は袁譚に猛攻撃を仕掛け、城から逃げ遅れ命乞いをする袁譚を曹純が捉え討ち取ることができました。

 

残る袁家の息子:袁尚と袁煕は曹操軍に抵抗すべく、かねてから親交のある烏丸族の下に身を寄せました。

郭嘉の策を採用した曹操は、彼の経歴の中でも最も過酷で長い進軍の末、烏丸族に奇襲をかけることに成功したのです。

曹純は烏丸族の頭領:蹋頓を捕える活躍を見せ、白狼山の戦いと呼ばれたこの戦に勝利しました。

このことが決め手となり、袁家一族は滅び、河北が完全に曹操の支配下となったのです。

南方攻略戦~最後

袁家との決戦を制し、当時の中華では最大の勢力となった曹操は、次なる目標を南方に定めました。

荊州の劉表の下に身を寄せていた劉備を追撃するべく、曹操が動かした大軍の中に曹純の姿もありました。

孫権を頼るために逃げる劉備を追撃した曹純は、劉備の娘2人や多数の捕虜を捕まえるという活躍を見せています。

 

しかし、まだまだこれから・・・という時、なんと曹純は突然この世を去ってしまいました。

赤壁の戦い後の215年に亡くなったことから、もし亡くなっていなければさらなる武功を挙げていたことが考えられます。

ちなみに、死因もわかっていませんが、戦場で亡くなった記述は無いため、病に倒れたのではないかと考えられますね。

曹純と兄の関係や虎豹騎についてのエピソード

ここまで曹純の生涯についてご紹介してきました。

兄である曹仁と並ぶ強さを誇る武将と言っても良いほどの良将でしたが、早逝してしまったことが悔やまれますね。

ここからはそんな曹純に関するエピソードをご紹介していきたいと思います。

曹純と兄:曹仁とのエピソード

曹純の兄は魏の大将軍にまで上り詰めた武将:曹仁ですが、意外にもその2人に関するエピソードは記されていません。

しかし、気の赴くままに悪友と暴れまわっていた曹仁に対し、家督を継いで召使たちの生活も守った曹純と、若い頃の性格は正反対だったことは明らかです。

そもそも、曹仁が家を出ていなかければ曹純が家督を継ぐことはなかったはずなので、2人の仲が良かったのかどうかも怪しいですね。

ただ、いずれにしても2人の武勇は優れていたことに変わりはないことから、兄弟としての共通点はあると言えます。

虎豹騎隊長としてのエピソード

そしてもう1つ、曹純に欠かせないのか虎豹騎隊の隊長としてのエピソードですね。

当初、曹操は精強な虎豹騎隊を部下に預けることに悩むほど、その能力を高く買っていたそうです。

しかし、曹純に指揮権を預けたことで、面倒見の良い性格も奏功し、信頼関係のまとまった部隊になったそうですよ。

曹純が亡くなった後も、適任がいないと曹操自らが指揮した経緯もあることから、曹純の人望と能力が伺える話と言えますね。

まとめ:人望あふれる虎豹騎隊長は早逝が悔やまれる

今回は三国志に登場する武将:曹純についてご紹介してきました。

虎豹騎隊隊長として人望あふれる性格が部隊をまとめ、曹操にも認められていましたね。

早逝したのが悔やまれますが、短い生涯でも素晴らしい功績を残した武将だと言えます。