三国志に登場する人物:張角についてご紹介いたします!

世界史の教科書にも載るほどの有名でもある張角は、後漢を滅ぼす大きな要因となった人物でもありますね。

彼が巻き起こした大騒動をきっかけに、三国志の幕が開けると言っても過言ではありません。

そこで今回は張角の生涯について、逸話や後世の評価も含めてご紹介していきたいと思います。

張角の生涯を最期の死因まで解説!

長く続く後漢を終わらせる大きな原因となった人物が、今回ご紹介する張角です。

彼の影響は亡くなった後も大きく、後漢滅亡から三国時代に入るまで続きました。

果たしてどのような生涯を送り、どんな影響をもたらしたのでしょうか。

早速その生涯について見ていくことにしましょう。

生まれ~太平道の開宗

張角の生年は不明ですが、文献によると冀州鉅鹿郡の出身であることがわかります。

彼が布教を始めた太平道は、同時期に道教の一派として民衆への布教や治療活動を行っていた于吉が得たとされる神書と題した「太平清領書」を教本にしていました。

張角は于吉と同様に、信者には平伏させてそれまでの罪を懺悔させ、病に倒れた人には符水を飲ませ、布教活動を地道に続けます。

その結果、10数年もの間に数十万人もの信徒を得ることができたのでした。

黄巾の乱を扇動~最期

大規模な宗教組織となった太平道の教祖として、自らを大賢良師と名乗った張角は、信徒を管理するために36の集団に分け、それぞれ渠帥という管理者を置きました。

やがて、張角は信者を扇動し始め、腐敗した後漢の政治を倒すべく動き始めます。

184年2月、ついに張角は全国の信徒に呼びかけ、一斉に蜂起して暴動を起こしました。

自らは天公将軍と名乗り、弟の張宝と張梁をそれぞれ地公将軍・人公将軍として扇動を率い、中国の情勢は一気に悪化してしまいます。

 

信徒に黄色い布を巻かせたことから黄巾の乱と名付けられたこの暴動は、開始直後は張角らの勢いが強く、暴政に耐えかねていた民衆を次々と巻き込み、勢力に組み入れていきました。

しかし、殺戮や強奪を繰り返す惨状に立ち上がった官軍との戦いで、徐々に反乱が鎮圧されていったのです。

張角は広宗の地で籠城し抵抗しますが、反乱開始から1年もたたない184年10月に陥落してしまいます。

その時、張角はすでに病死しており、亡き骸は官軍の手で無残な姿にされ晒されてしまいました。

三国志演義での張角の生涯

三国志演義での張角は、上記のように黄巾の乱を引き起こして以降の経過は同じです。

しかし、その兄弟である張宝や張梁の設定や、太平道を開く経緯が異なっていました。

張角ら3兄弟は郷試:現代でいう公務員試験に合格していない秀才として描かれ、郷里で一目置かれる兄弟として見られていたそうです。

そんなある日、薬草を採りに行った張角は山中で南華老仙に出会い、太平要術の書を受け取ったのでした。

 

全3巻の太平要術の書には風雨を操る術が記されており、人知を超えた力を得る機会を張角は手に入れたのです。

南華老仙は書を渡す時、「まさに天に代わりて宣化し、あまねく世人を救うべし」と言い残しました。

果たして張角は、2人の弟とともに書を読み、病に苦しむ民衆を助けていったのです。

しかし、術を悪用した時に報いを受ける、という南華老仙の言葉が、後の黄巾の乱を起こしたことがきっかけで現実となるのでした・・・。

張角がどんな人なのか逸話や評価について紹介!

ここまで張角の生涯についてご紹介してきました。

太平道という宗教組織を立ち上げ、信徒を操り大暴動を起こした張本人でしたね。

ここからはそんな張角の人物像や逸話、後世の評価を掘り下げてご紹介していきたいと思います。

太平道の教えを反乱を起こした名言に悪用した

張角は数十万に膨れ上がった太平道の信者を利用し、後漢を討伐すべく黄巾の乱を引き起こしました。

その方法は、事前に手下の馬元義に命じ、権力を握っていた宦官の一部を太平道に入信させ、外と内の両方で混乱を起こす、というものでした。

しかし、これは事前に行動が発覚し、馬元義は捕らえられ処刑されてしまいます。

そのため、張角はあらかじめ信徒たちに教えていた有名なスローガン「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子 天下大吉」のもと、武装蜂起したのでした。

黄巾の乱を起こしたことに対する評価

黄巾の乱は後漢を滅ぼすきっかけになった大騒動ですが、このことについては長年続いた宦官政治が引き起こした腐敗を止めるきっかけになったと言われています。

正確には黄巾の乱以降も宦官政治自体は続くのですが、少なくとも三国時代の各国が建国するころまでは宦官の精力は弱まったと言えますね。

一方、黄巾の乱以降も生活に不満を持つ民衆や、有象無象の盗賊たちがこぞって黄巾賊を名乗り、各地を荒らしまわったことも影響の1つです。

このことから、張角は良くも悪くも、その後の中国の歴史に大きな影響を与えた人物であると言えます。

まとめ:黄巾の乱の最中に病死した大賢良師

今回は三国志に登場する張角についてご紹介してきました。

黄巾の乱の扇動者として登場しましたが、乱の最中に病死したという人物でもありましたね。

宗教の恐ろしさを知るとともに、後漢滅亡のトリガーとなった人物であることを再確認しておきましょう!